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- 58 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
21:41:14 ID:I62OO6jj
- 就職2年目の夏のボーナスで僕は指輪を買い、綾にプロポーズした。
新宿の都庁の展望台で夜景を見ている時だった。
意外なことにプロポーズはすんなり受け入れられ、綾は専業主婦に なると言ってくれた。まだ僕一人の給料ではやりくりが大変な時期だったが
「それならそれでパートでもするよ」と彼女は言った。
あれほど熱心に打ち込んでいた仕事を、結婚の為にあっさりと辞めてくれた
理由を、正直僕は計りかねたが、綾の好意はありがたく頂き、その年を持って 綾は会社を退職し、僕らは翌年3月に結婚式を挙げた。
結婚式は多くの友人が祝ってくれた。 綾と出会っていなかったらたぶん結婚式は中々つらいものがあったと思う。
なぜっておそらく綾と出会っていなかったら、僕には結婚式に呼ぶほどの友人は ほとんどいなかっただろうから。
大勢の人たちに祝福されて、僕らの結婚生活はスタートした。 そしてあっという間に妊娠発覚。
ハネムーンベイビーとまではいかないけれど、結婚5ヶ月目のことだった。
もうこうなると毎日が幸せで、仕事がどんなに辛くても耐えることができた。 産婦人科の先生には男の子か女の子かは言わないように頼んでいたが、
エコーの写真で股間に見事な突起物がみつかり、生まれる前に男の子だと判明。
「実際に生まれるまでは知らずにいたい」と思っていたが、知ってみればそれはそれで
よかったと思う。なにしろ名前を考えるのに辟易していたから。男の子と女の子の 2バージョン考えるなんて重労働はとても無理だった。
- 59 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
21:53:09 ID:I62OO6jj
- 梅雨前線が活発なある日に、僕らは新しい命を授かった。
体重3142グラムの男の子。 母子ともに健康でわずか4時間での安産。
あまりの速さに出産の瞬間に立ち会えなかったことが今でも悔やまれる。 「こっちは4時間だって大変だったんだから」と綾には笑って怒られた。
退院後しばらくを実家で過ごした後、綾と息子は僕の待つ東京の部屋へと
帰ってきた。仕事にはますます熱が入り、家族のためにと一生懸命に働いた。
20代も半ばに差し掛かると時間の過ぎる速度がぐんと上がる。
息子はすぐにハイハイを始め、やがて立ち上がり、言葉を発するようになる。 初めての「パパ」。本気で泣いた。
早く兄弟を作ってあげたいねと僕らは願い、夫婦関係もますます良好になり、
幸せの絶頂を迎えたように思えた。どんなことでも乗り越えていけると思っていた。
そしてあの日がやってきた。
- 61 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:02:52 ID:I62OO6jj
- 綾の運転する軽自動車とトラックの衝突事故。
綾は即死、息子は奇跡的に無傷。
会社で連絡を受けて、その後の事はよく覚えてない。
霊安室で氷のように冷たい綾に触れてから、気がつけば葬式も終わり、 綾は骨壷に収まっていた。
49日もあっという間に過ぎ、実家の墓へと納骨。
何がなんだかわからず、ただ息子の世話だけをしていた。
今でもその当時のことはほとんど思い出せない。
綾を亡くし、僕は精神を患った。 死ぬことしか考えられない重度の抑うつ状態。
会社もやめ、傷病手当金の支給を受けながら、ただただ息子の世話だけを しながら過ごす日々。
息子の存在だけが、僕を死への誘惑から守ってくれていた。 とは言え、本当のことを言えば、息子も巻き添えにして死んでしまおうと
何度考えたことかわからない。
実家の親に息子を託して死ぬことも考えた。 綾の居ない人生など考えられなかった。
- 62 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:12:22 ID:I62OO6jj
- 抗鬱剤を飲みながら、頭痛と胃痛と激しい倦怠感に襲われる日々。
僕の読む本は死後の世界に関するものが増えていった。
色んな人の本を読んだが、どれも書いてあることはまちまちで、 正常な判断力を失っている僕にはどれもよくわからず、
何が本当のことで、誰が嘘を言ってるのかわからなかった。
そんな地獄をさまようような日々を過ごしていたある日、
綾の出版社時代の同僚から電話が入った。
雑誌やテレビで最近よく顔を見かける、とある霊能力者のA氏と
会うことができるがどうか?という話だった。
その人の本も数冊読んでいた僕はすぐに会う約束をしてもらえるよう お願いした。
信じるとか信じないとか、そういう事はどうでもよかった。 嘘でもいいからテレビでみる番組のように、綾からのメッセージを
伝えて欲しかった。
2週間後、僕は実家の母に上京してもらい、息子を預けてA氏の事務所、
正確にはカウンセリングルームと言った方がよいのだろうか、を訪ねた。
- 63 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:19:58 ID:I62OO6jj
- A氏はテレビ同様、柔和な笑顔で僕を迎えてくれた。
通された部屋は少し薄暗く、お香のいい匂いのする不思議な部屋だった。
部屋に通されるなりA氏はこう言った。
「さあ、そこのソファに掛けて下さい。奥さんがずっとお待ちでしたよ。」
その言葉だけで僕の目にはもう涙があふれ始めた。 嘘か本当かなんてどうでも良かった。 綾がそこに居る。
そう言ってもらえるだけでもう十分だった。
出されたハーブティーを飲み、僕が少し落ち着いたところで、A氏は
死後の世界と、僕と綾の生まれる前からの因縁について話してくれた。
A氏が言うにはこういうことだった。
まず、人間はこの世に修行のために生まれてくる。 それぞれ課題をかかえ、それを克服しより高い精神を手に入れ高等な
魂となるべくこの世に生まれてくると。
そして人は死ぬと大きな魂の元に帰っていき、自分と他の魂との境界は
あいまいになり、まったく別の存在へと変わると。
それぞれの魂は因縁のつながりの強いグループで形成されていて、
そこからまた克服すべき課題をみつけ、魂としてこの世に新たな命として 生まれてくると。
- 64 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:29:54 ID:I62OO6jj
- 人間には大きく言って8つの苦しみがあるという。
「四苦八苦」という言葉は仏教の言葉だそうで、
「生」「老」「病」「死」の四苦に、その他、ややこしい名前の 4つの苦しみを加えて合計8つの苦しみがあるという意味だそうだ。
僕と綾が生まれる時に抱えてきた克服すべき課題、カルマはその中の「愛別離苦」。 愛するものと離れる苦しみだとA氏は語った。
人は出会った以上、生き別れか死に別れか、いずれにしろ必ず別れはやってくる。
この世の中の全ては流動的で不変的なものなどなく、愛するものとの別れも 受け入れなければならないもののひとつだと言う。
さらにA氏は加えていった。
「あなたと奥さんはね、実は今回で愛し合うのは4回目なんですよ」と。
さかのぼると100年以上前になるという。 僕と綾は、まったく別々の魂のグループから、『愛別離苦』のカルマを克服すべく
この世に生を受け、出会い、愛し合った。
そして僕らを見守る霊たちは、僕らに別れをもたらすのだが、僕と綾の結びつきは
祖先の霊たちの予想をはるかに超えて強く、僕らは別れを拒絶し心中をしてしまったという。 これが僕と綾の長い因縁の始まりだという。
- 65 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:38:56 ID:I62OO6jj
- A氏は続けて言う。
「あなた、昔からよく冬の川で心中する夢を見るでしょう。
それが今よりひとつ前のあなた達の心中の記憶なんです。」
子供の頃、誰にも信じてもらえず、唯一綾だけが知っている僕の夢の話を
A氏は知っていた。そしてA氏は続けた。
前世での心中の時、僕は相変わらず愛別離苦のカルマを克服できなかったが
実は綾はその時の生でカルマの克服を終えたのだという。 前世で非常に良い両親に恵まれた綾は、親と不仲だった前世の僕とは違い、
死ぬことによる両親との別れは非常に辛い選択だったという。
結果的に僕と一緒に冬に川に飛び込んだものの、綾の魂はカルマを克服し
この世での仕事を終えたのだった。
「じゃあ何故、綾はまた生まれてきて僕と出合ったんですか?カルマを克服したなら
もう生まれる必要はないのでしょう?」
僕は尋ねた。
A氏はまた柔和な微笑みと共に答えた。
「奥さんはあなたのためだけに、この苦しい世界にもう一度生まれてきてくれたんですよ。」
3度転生してもカルマを克服するどころか泥沼にはまる僕の為に、綾と僕の祖先たちは
ある計画を立てた。一度二人を結ばせて、子供を儲ける。そして綾が死ねば、僕は子供を おいては死ぬことができず、綾の死を受け入れるだろうと。
当然、子供を道連れにしての後追い自殺も予想されたが、それを回避するためにA氏との その日の出会いが仕組まれたのだと。
- 66 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:48:10 ID:I62OO6jj
- もう涙が止まらなかった。
1時間近く泣いたのではないだろうか。
A氏は最後に綾からの伝言を伝えてくれた。
「綾さんね、こうおっしゃってるんです。今度こそ、私の死を乗り越えて 息子さんを立派に育ててねって、そう言ってますよ。でないと、私は
またあなたと一緒に生まれて途中で死ななきゃならないなんて 冗談まで言ってます。」
僕は泣きながら笑い、確かにそこに綾の存在を感じた。
「綾さんはね、実はずっと過去世の記憶をもって暮らしてたんですよ。
子供の頃に変な言動をしてたとかそんな話をご両親から聞いたことは ありませんでしたか?」
確かに聞いたことがあった。
教えていない単語を知っていたり、親の知らない人の話をしたりして 少し心配したという話を。
綾はずっと過去世の記憶を持ったまま生きていた。 その話を聞いて、ようやく綾の大人び過ぎた少女時代に納得がいった気がした。
「やがて、あなたにはまた別のパートナーが現れます。息子さんにとっても新しい
お母さんが必要です。時間はかかるでしょうけど、どうか奥さんの死を受け入れて 寿命を全うしてください。」
A氏にそう言われて、僕はカウンセリングルームを後にした。 綾が死んでから8ヶ月が経っていた。
- 67 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金)
22:52:20 ID:I62OO6jj
- それから2年が経ち、僕は今、ようやく綾の死を受け入れ、
彼女と出会えた幸せと、彼女が残してくれた最愛の息子に感謝し、
楽しい日々をふたりで過ごしている。
仕事はA氏とのカウンセリングの後、半年経って、同じ会社に復帰した。
シングルファザーという特殊な事情を考慮してもらって、事務系の 残業の少ない部署に回してもらった。
最近、4つ年下の後輩の女の子がよく食事に誘ってくる。 休日にも時々内にやってきて息子と遊んでくる。
新しい出会いが訪れる季節なのかも知れない。
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