福 音

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51 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/19(木) 13:45:20 ID:qgSCDaJ+
高校二年の確か夏ごろから、僕らはよく進路の話をするようになった。
綾はとてもしっかりした考え方の持ち主で、報道関係かジャーナリストや
ライターになりたいと言っていた。

僕はただ漫然と人間嫌いであったその性格から、なんとなく理系かなと
思っていたが綾の考え方を効くうちに徐々に感化されていった。

いや、感化されたというのは適切ではないだろう。
僕は同調するフリをして、もっと綾のそばに居たかったのだ。
大学も同じ大学、学部に入りたかった。
東京で、同じ大学に入ってお互い一人暮らしなんてできたら
それこそ最高だと思っていた。

だが中学時代の栄光はどこえやら、一年半まともに勉強をしなかった僕の
成績は見る影もなかった。

「勉強なんてひとりでもできる」ととっていたZ会も封筒すら開けずに部屋に
山積みになっていた。このままでは綾と同じ大学なんてとても無理だと悟り、
それからは図書室で綾の部活が終るのを待つ間、勉強に費やすことにした。

ただただ、綾の傍に居たい。
それだけの気持ちで、部活の終わりをそわそわと待ちながら、過去に届いた
Z会の教材を一年生の分からやり直して行った。

それから半年もして高校3年生になるころには、僕はようやく綾と肩を並べられる
くらいまでの学力を取り戻していた。このまま二人で同じ大学へ。
そう思い、3年になってからはふたりで同じ予備校に通い、休日は一緒に勉強した。

そして翌年春、ふたりで同じ大学の同じ学部へと無事合格した。

さすがにアパートを一緒に探すわけにはいかなかったけれど、二人で密かに連絡を
とりあい、なるべく近所のアパートを借りた。

52 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/19(木) 19:25:50 ID:qgSCDaJ+
晴れて大学生になり、日本武道館での入学式。
ああこれが爆風スランプの歌っていた「金のたまねぎ」か、と東京の
風を吸いながら僕は感慨にひたった。

これからはお互いに一人暮らし。
もう親の目は気にしなくてもいい。
驚いたことに僕らはこの時点でもまだプラトニックだった。

なんとなく、そんな気になれなかったせいもあるし、彼女を神聖視していた
面もある。お互いあまり親が留守にしない家でチャンスがなかったのも
事実ではあるし、かといってラブホテルなんて場所に彼女を連れて行く
気にはなれなかったのだ。

しかしお互い一人暮らしとなれば話は別で、何度かお互いの家を行き来して
泊まるうちに、確か5月ごろ、僕らはようやく結ばれた。

久しぶりのセックスだったせいもあるかもしれないが、それまでのセックスとは
まるで違っていた。心底好きな相手との行為がこんなにもこれまで経験した
それとは違うとは思っていなかった。

細胞のひとつひとつが彼女を求め、触れ合う肌が互いに吸い付くような感覚だった。

53 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/19(木) 19:34:57 ID:qgSCDaJ+
大学へ入り、彼女は再びオーケストラ部に入った。
一秒でも彼女と長くいたい僕は、本気で今から楽器を習おうかと検討したが

「お互いの世界を狭めるようなことはよくない」

と彼女に止められた。

互いの家に宿泊するのについても、「メリハリがないのはよくない」という彼女の
主張で、僕が綾の家に泊まりに行くのは火曜と金曜の夜だけと限定された。
少しさみしかったけど、彼女の主張はもっともだったため渋々僕は従った。
ダラダラと同棲状態に陥ってダメになったカップルは、大学では辺りを見渡せば
いくらでも見つかったから。

結局僕はどのサークルにも所属せず、ファーストフードのアルバイトに精を出した。
彼女にプレゼントをあげたかったしデート費用の足しにしたかったのだ。

こうして僕らの大学生活はスタートした。
4年間はそれこそあっという間で、思い出は語りだしたらキリがない。

高校時代からわかっていたことだが、オーケストラ部というのは練習時間が長い。
また部内の仲もよかったりカップルの成立数も多く、飲み会も多い。
当然のことながら彼女は先輩から狙われる対象になったりしたものだから、
ヤキモチを妬いた僕が大学に入って最初に彼女にあげたプレゼントは指輪だった。

エルメスのシルバーリング。男よけのおまじない。

54 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金) 21:02:06 ID:I62OO6jj
社会人になって思うことだけれど、大学時代の四年間というのは本当に
あっという間に過ぎる。僕らのいた大学は比較的同棲するカップルが多いので
知られていたが、同棲後、長続きしたカップルを僕は自分達以外には知らなかった。

やはり狭いワンルームの部屋でお互いを束縛しあっていると、人間、息が詰まって
しまうのだろう。今になっても綾の提案した「お互いの世界を狭めない」為のルール
作りは非常に有効だったと思う。

お陰で僕は、大学時代に始めて心開ける友達を得ることができた。

綾と過ごすうちに、段々と人間嫌いが治り、逆にそれまで潜在的に持っていた人と
触れ合いたいという感情が一気にあふれ出したかのようだった。

大学3年にもなる頃には、もう僕には過去の人間嫌いは跡形もなくなってしまっていて
アルバイトなどで知り合った友人達と大いに飲み明かす日が多くなった。

サザンオールスターズの曲でYaYaという曲がある。
大学時代をしのび、「忘れられぬ日々」と懐かしむ曲だ。

綾が僕の中に育んでくれたたくさんのものが芽を出した4年間だった。
今でも思い出すと目頭が熱くなる。
友人達と会う機会もめっきり減った。

もし帰れるなら迷わずタイムマシンのボタンを僕は押すだろう。

55 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金) 21:12:50 ID:I62OO6jj
大学3年も半ばになると、周囲はにわかに就職活動で活気づいた。
景気は一旦回復の兆しを見せ始めていたが、アメリカのITバブルで
再び日経平均が底割れするのは学生の僕らでも容易にわかった。

金融にも若干の興味を示していたが、「もうすぐ日経平均は2万円台
に回復する」という銀行員の馬鹿なプレゼンを聞いて行く気をなくした。
時は小泉内閣発足前夜。森善郎前首相が問題発言を繰り返し、記録的な
支持率を更新している頃だった。

綾は高校時代からの夢であるライターへの道を目指すべく、まずは
出版社へ就職したいと活動を始めた。

僕は綾ほど明確なビジョンは持っていなかったが、色々と調べていくうちに
マスコミ関係に興味を持っていき、広告代理店を受けたりした。

結果は面白いほど明暗が分かれ、綾は大手の出版社から見事に内定をもらう。
僕は誰も知らないような、小さな広告代理店へ就職が決まった。

それでもふたりとも当時としては順調だった。
なにしろ6月にはふたりとも就職先が決まっていたのだ。
秋まで就職先が見つからない学生もゴロゴロしていた時代だったから、
僕らはとてもついているカップルと言えただろう。

56 : ◆bA0TzdCLfk :2006/01/20(金) 21:23:12 ID:I62OO6jj
そして時間はあっという間に流れ、卒論に追われる内に大学4年間は終った。
4年前と同じ、金のたまねぎの下で僕らの卒業式は行われ、キャンパスライフは
終わりを告げた。

この頃には僕らはもう両親後任の仲で、互いの両親と6人で、武道館の入り口の門で
記念撮影をした。振袖に袴姿の綾は、いつもより一段と奇麗で改めて惚れ直したりもした。
そしてこの頃から、ずっと心に秘めていた綾との結婚が徐々に現実味を帯びてきた。


大学卒業とともにふたりとも、4年間を過ごしたアパートを引き払い、お互いの会社へ
通いやすい場所で、再び近所のアパートを借りた。

とは言え、時はリストラ真っ只中で、大幅な人減らしでどこの企業も人手が足りず、
現場は戦々恐々としていたため、新人の僕らも研修が終るや否や、毎日残業で
大忙しの日々が続いた。

必然的に平日なんてほとんど会うこともできず、土日は土日で綾のいる出版業界は
土日なんて会ってないようなもので、僕らが一緒に過ごす時間は大学時代に比べると
10分の1にも満たない時間に減っていった。

どんなに仕事が忙しくても、綾と会えない寂しさは紛れることなどなく、僕は綾との結婚を
どんどん真剣に考えるようになっていった。心配だったのは綾が仕事にやりがいを感じて
いることで、結婚を考える余裕なんて無いように思えたことだった。



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